9月25日(金),花巻市立八重畑小学校での出前授業を終えてすぐに新幹線に乗り,青森市に行きました。盛岡某高音楽部が8月29日の全日本合唱コンクール岩手県大会で金賞をいただいたので東北大会に出場するためでした。ちなみに子どもたちは学校に集合して1時間ほど自分たちで練習した後バスに乗って12時頃に会場であるリンクステーションホール青森に着いていました。
課題曲:A1《O what shall I do?》作曲:John Wilby(1574-1638)
自由曲:《夕ぐれのの時はよい時》作詞:堀口大學,作曲:松本望
県大会後はすぐに定期考査期間となって部活中止,3年生は課外授業,8人しかいない部員の1人は海外への1週間の研修に出発し前日までいない…とさまざまあって,全員が揃ったのはやっとコンクール前日でしたが,それぞれができることにその時その時しっかりと取り組んで,本番ではとても丁寧に音楽を表現していました。
東北各県からAグループに21団体,Bグループ(33名以上)に11団体が出場していました。(聴けたのは20番の出番が終わってからと少なかったのですが)どの団体もよく揃っていて「上手」です。音は驚くほど大きくアクロバティックな楽曲でも乱れません。しかし残念なのは言葉を聴き取ることができる演奏が少なかったことです。英語,ドイツ語,ラテン語,そして日本語でもです。もちろんそのほかの言語はもちろん私には全く分かりませんでしたが…。
「「言葉が生きる」と「音楽が生きる」は歌の世界では同義語である」という価値観を盛岡バッハ・カンタータ・フェラインの活動を通して学び,それを目指して音楽に取り組んできたものですから,言葉が聞き取れない演奏は歌としての意味(価値?)を感じられないのです。そういう意味で会場の雰囲気がとても異様に感じられたのでした。正直言って聴き続けるのが非常に疲れました。普通の音楽会なら「いい音楽だなぁ」と思いながら過ごせるのですが,全日本合唱コンクール東北大会でそう思える時間はほとんどありませんでした。
しかし!コンクールというのはそういうことなのだと,その場に居合わせてやっと理解できました。自分はもちろんそのような場で評価される「ために」音楽するなどと意味のないことはやるつもりはありませんし,子どもたちにも音楽することの意味・価値を正しく伝えたいと思っています。
言葉が(楽譜を見ないで聴いている)聴き手にも音楽と共に伝わってくる,そんな演奏が「いいなぁ〜」と評価される時代はいつくるのでしょうね?(それにしても審査員の先生方の語学力の高さには驚きました。順位第1位と第2位が演奏した自由曲は,私にはいずれも何語かわからない(従って,歌っている内容を理解できない)言語で歌っていましたから。)
ちなみに審査を待つ間の常連校の歌まわしや閉会式の次第には無い方のトークタイムなどにもなんだか内向きな雰囲気を感じ,居心地があまりよくありませんでした。

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