6月10日(月),この日は12時までにホテルをチェックアウトし15時までに集合するだけのスケジュールで,あとは自由な時間でした。そこでまずは大事なお土産ゲット,あとは市内観光と考えました。
しかし9:30にホテルを出ると,トーマス教会で9:30から Mette が始まっているようだったのでいそいで向かいました。メッテというのは「朝の祈り」とのことです。ちなみに私たちがバッハフェストに最初に招聘されたときのプログラムは今回のような「コンサート」ではなく,この「メッテ」での演奏(2020年6月12日(金)「復活祭オラトリオ」BWV249 )でした。→右図は2020年の当初のプログラムから
牧師の祈りあり,子どもたちの祈りあり,コラールによる賛美ありと,これもまた本来的な賛美に近い形式だったように思います。メンデルスゾーンのモテットは盛岡でも演奏したことがあり,ここのところバッハを聴き続けてきた耳にはだいぶモダンな響きに感じられました。
その後,お土産を物色しながらライプツィヒ大学のあるアウグスト・プラッツに向かいました。途中の道端にあるモニュメント(写真)は,右手で平手を挙げながら右足は進むのに抵抗し左手は拳を挙げて進んでいこうとするもので,全体主義への抵抗を表しているとのことでした。ナチズムへの強烈な反省が街に刻み込まれていると感じました。メンデルスゾーンゆかりのゲヴァントハウスのショップでお土産を買い,その後リングを東に超えてグラッシィ博物館の楽器博物館や民族学博物館を見ようとしたのですが,残念ながら月曜休みでしたので,バッハがかつて眠っていたという裏手のヨハネス墓地に行き,その後メンデルスゾーンハウスに向かいました。
メンデルスゾーンハウスはライプツィヒに行くたびに訪れていますが,今回は大きくリニューアルしていました。姉のファニーを作曲家として評価しようという姿勢がよく伝わってきました。ヨーロッパでも男性優位の価値観への反省が進んでいるのですね。その他の展示もわかりやすいように工夫されていると感じました。それからクルト・マズアについても以前は設立に貢献した人といった程度の扱いでしたが,彼の活動の歴史を広いスペースをとって展示していました。月曜デモを始めライプツィヒ市の歴史において重要な人物でその価値を示そうとしているかのようでした。盛岡でロンドン・フィルとの第九演奏会で指揮して頂いた(2001(H13)年)頃にはそこまでの方とは知りませんでした。お恥ずかしい…
その後15時には,全日空チームとトルコ航空チームの皆がホテル前に集まって,今回指揮する予定だったD. ティムさんへの感謝のメッセージ動画を撮りました。次回こそ共演が実現すればいいなと思っています。(大学によるディムさんのプロフィール紹介の上記リンクには「Morioka Bach Kantaten Verein」も載っていました!!)
私たち全日空チームはこの後,ライプツィヒ・ハレ空港からフランクフルトに飛び(飛行時間は30分くらいで全体で1時間程度),その後羽田空港へ12時間ほどかけて(R2D2号とは降りるまで気づかず)飛びました。バルカン半島→黒海→カスピ海→中国(詳しくは不明)→黄海→韓国といった,ちょっと心配なコースでしたが,往路より2時間程度早かったようです。
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